2019年、母親の発案で弟と母親、私の3人でカナダに家族旅行としてオーロラを見に行ったことがある。その時の思い出に浸りながら文章を書いていきたいと思うので少々お付き合い願いたい。
オーロラの名所イエローナイフを訪れる
カナダの田舎ってこんな感じなのか
2018年年末、僕たち一家(母、弟、自分)はカナダのイエローナイフに降り立った。父は仕事の都合で参加できなかったが、僕たちはオーロラを見るべくして日本から12時間のフライトに耐えた。
母親が最初にオーロラを見てみたいといったと口にした。人は生きていたら誰しもオーロラを死ぬまでに一目見ておきたいものだ。僕もなんとなくいつかは行くんだろうなと思っていたのですぐに一緒に連れて行ってほしいとお願いした。LINEの家族グループで「年末はカナダに行くから予定を開けておくように。」と僕と弟あてにメッセージが届いた時には、うちの母親の行動力とパワフルさを見せつけられた気がした。旅の日程は母親の仕事の都合もあり年末に日本を出て、年が変わった一週間後に戻ってくるというものだった。今思えば、大人三人の飛行機代もろもろの旅行費用は相当なものだったと思う。この素敵な体験を用意してくれた家族には感謝しかない。
さて、我々が来たのはイエローナイフという場所だ。黄色小刀、なんとかっこいい地名であろうか。
イエローナイフはオーロラ帯(北緯62度27分)のほぼ真下に位置しており、障害物のない広い土地や晴天率の高さもあって年間を通してオーロラの出現率が高いことで有名である。
Wikipedia contributors. “イエローナイフ.” Wikipedia. Wikipedia, 2 Jun. 2022. Web. 9 Jul. 2022.
Wikipediaで見てもオーロラが出やすい地域だと紹介されている。しかも我々はオーロラビレッジというツアーに参加した。HPには「出現率98%」と書いてある。なんと盤石な。我々一家がこの年末年始にどれだけ賭けているのかがお判りいただけただろう。
飛行機から降り立ったのは日が沈んだ後の暗い時間だった。飛行機の中という密閉された空間に閉じこもっていた旅人にとって飛行機のドアから外に一歩踏み出す瞬間は、その体が現地の空気に初めて触れる特別なものであり、その土地の気候に肌をチューニングする最初のチャンスである。私はその瞬間がすごく好きである。しかしこのイエローナイフで感じた現地での初めての風は今まで各地で行ってきたチューニングのそれとは比べ物にならないほど私の肌に突き刺さった。それはまるでイエローナイフが、私の今まで生きてきた土地や環境と比べていかに生き抜くことが厳しい場所かをナイフを突き立てるかのように教えてくれるようだった。
イエローナイフの空港はさほど大きくなく、街のイメージは雪の大陸にあるこじんまりとした集落というようだった。市内には意外と大きなスーパーがあり、カナダの代名詞であるメープルシロップをはじめほとんどの日用品がそこで手に入る。ポスターカラーで色塗りしたような鮮やかな発色のホールケーキと目が合い、改めて海外をぶらついているという実感ができる。少し先の通りに行くと、お土産物屋さんなどが立ち並ぶ。バイソンの革でできたお財布がかっこよすぎた。
とにかく寒い
その日の気温は-30℃を超えていた。ツアーで支給される見た目がダサい暖かいだけが取り柄のダウンジャケットを着ても四肢から冷えてくる。特に日本の寒さでは感じないのだが、イエローナイフの気温では鼻から入った冷気で鼻毛が凍ってしまう。深呼吸などしようものなら肺の中にある無数の肺胞ひとつひとつがアイスの実のようにキンキンになってしまう。しかしこちとらその土地に住みに行っているのではない。あくまで観光で行っているので少しでも寒いほうがおもしろいものだ。ホテルで沸かしたお湯をばら撒き、空気中で凍らせる理科の実験もどきをやってやった。濡れタオルもぶん回してやった。
いざオーロラ観測へ
「思ってたやつとは違う」オーロラあるある
オーロラ観測場所、オーロラビレッジまでは市内からツアーバスで向かう。そのバスはシルバーの外装で、雪山を走り抜けるには心もとないが、ある意味では”いかにも”な見た目をしている。乗り心地はあまりいい思い出がない幼稚園の送迎バスの30倍悪かった。しかし、これからオーロラを見るという人生の夢を叶える我々にとってはそんな揺れものただのゆりかごに過ぎない。バス車内では現地の注意事項やその日の天気、オーロラ予報などのアテンションがあった。その日の気温は-40℃。体感温度は-50℃を下回るらしい。ここで気を付けていただきたいのは、いくら-50℃を経験したとて日本の-3℃の冬は毎年とてつもなくしんどいということだ。
「見てください!もう右手にオーロラが出てますよ!」とアナウンスが入る。その奥の方を見るとうっすらと白い雲がかかっていてオーロラは見えない。それにしてもあの雲、夜なのにその白さはまるで自ら光を発しているかのように煌々とオーラを放っている。そう、それが私が見た初めてのオーロラだった。「オーラ」と「オーロラ」で少しぐちゃぐちゃになったかもしれないが勘弁いただきたい。そう、写真で見る緑や赤の美しいオーロラというのは写真で見るからこそあそこまで緑が輝く。肉眼で見たらそのわずかな緑のスペクトルはもはや白として認識してしまうほど儚い。それでも肉眼で見るオーロラには何か人を虜にする魅力があり、それが旅人を北へ北へと進ませてしまう。バスはオーロラの赤ちゃんを横目に見ながらオーロラビレッジに向けて針葉樹林の間を走り抜けていく。
オーロラビレッジに到着したら各個人が自由に敷地内をうろつきながら存分にオーロラを鑑賞できる。その日は運も良く、ぽつぽつとオーロラがその白い姿を見せてくれた。さっきまで同じバスに乗り合わせていた人たちも皆あちこちで自然の芸術に感嘆している。しかし先ほども述べたが、これがオーロラなのか、はたまた筋状の雲なのか肉眼ではわからない。周りの観光客も、頭上には念願のオーロラが出ているのにも関わらず、それを収めた緑の写真を見るべくカメラを覗き込みながら「おーー!」と声を上げている。気持ちはとても分かるがなにか言葉では言い難い違和感を覚えた。観光地に来たら写真を撮る派と目に焼き付ける派で意見が分かれるものだが、今回の事案は少し議論が難しいかもしれない。私は目に焼き付ける派で、写真なんかネットに腐るほど転がっているだろという意見の持ち主だが、今回ばかりは少しの違和感を感じながら自前の一眼レフでたくさん写真を撮ってやった。
でもやっぱり涙が出る
オーロラビレッジはティーピーと呼ばれる先住民のテントが建ち並ぶエリアと、人里離れたいくつかの丘のエリアに分かれている。テントの中にはストーブが完備しており基本的に暖かいため、多くの人はそこで過ごし、外で見張っている人から「オーロラ出てる」という報告が入り次第ぞろぞろと記念撮影に乗り出す。我々家族はバッファローの丘という敷地内で一番標高が高い場所に陣取った。
異国の地の雪山とはいえ家族が集まれば大学の話や将来の話になる。指先の感覚はなかったが久しぶりに母親と話すことも多く、とても充実した時間であった。とても充実した時間であったが会話の暖かさではやはり手足を温めることはできなかったため、母親と弟は一時丘のふもとのティーピーに避難した。私はたとえ一人だろうと、肉眼だとうっすらとしか見えなくとも憧れのオーロラを少しでも目に焼き付けたいとその場に残り、雪の上にごろんと寝ころんでいた。
それから10分くらい経った頃だろうか、うっすらと見えていた雲なのかオーロラなのか怪しい白のもやもやがみるみるうちに空全体を覆っていった。白っぽかったその色もあるところは緑がかり、またあるところは赤みがかってきた。360°開けた丘の上から見る一面の空、その端から端まで渡るオーロラは明らかにゆらゆらと体を左右に振りながら舞っていた。その画は月並みな表現だが、風に揺れるカーテンを下から見たようであり、あるいはプールに潜ったときに水面に映る水面の光の揺らぎのようであり、さながら川の流れのようであった。どうであれ、その揺らぎが見たこともないスケールで見える限りの空一面で繰り広げられていることにとてつもない感動を覚えた。私は横になったそのままの体勢で、はるか彼方まで続く川を眺めながら一筋の涙を流したことを記憶している。またその涙の筋がすぐに凍ってきたことも。
しばらくするとそのオーロラは空の両端から薄くなっていき、空の黒さに吸い込まれるかのように姿を消した。私はその一連の流れに人類が到底かなわない宇宙の仕組みの一端が現れていたと強く感じた。オーロラができる仕組みなんかは各々で調べてほしい。